私のライフ、私のラヴ、私のドリーム
7月3日。
今日は私の大好きな寺内さんの誕生日です。
36歳、年男。お誕生日おめでとう。
16歳の頃、何気なく観た生配信で初めてあなたを見つけました。寺内ゆうき、当時24歳。
声が大きくて、よく笑って、よく喋って、とても元気で、あと、顔がかっこよくて。
「私、この人のこと好きかも!」と直感的に思いました。
ある日、寺内さんが呟いていた「これから手売りに行くけど怖いです」というツイートに、私は思わず「かわいい…」とだけリプを送りました。
会ったことも、SNS上で話したこともない正体不明な私のリプにも丁寧に返信をしてくれましたね。
ずっと画面越しで見ていた寺内さんと、それが初めての会話でした。
「ぜひお会いしたらご挨拶させてくださいね!」という言葉を芸人さんから言われたのは初めてだったので、すごく律儀な方だなと思ったのを覚えています。
寺内さんを初めて見に行った日、予告もなく入り待ちをして驚かせてしまってごめんなさい。
芸人人生で初めての入り待ちだったと、あとで知りました。
テンパって自販機で買ったお茶を「あの…飲みます?」と私に差し出してきた寺内さん。その対応に私もテンパって「いや!自分で飲んでくださいっ!」と断ってしまったけど、貰っておけばよかったなと今になって後悔しています。
寺内さんを待っているのに、寺内さんの姿が見えると逃げて出待ちを逃すくらい、寺内さんと話すのがいつも恥ずかしくて、写真も頼めなかった私。
「一緒に写真撮ってもらえますか…?」とやっとお願いできた頃には、初めて会ってから1ヶ月も経っていました。
「僕なんかで良ければいくらでも撮るよー!」と快くOKして隣に立ってくれた寺内さん。緊張して全然上手に笑えませんでした。
その日の帰り道はニヤニヤが止まらなかったし、毎日その写真を眺めて過ごしました。
あの頃、ランパンプスの出演するライブはとても少なかったから1本1本大切に通ったし、いろいろ生活が大変だった中「あともう少しで寺内さんに会える!」という気持ちをモチベーションに毎日頑張れました。
それから数ヶ月後、私は長い闘病の末、大好きだった母を亡くしました。
この世でひとりぼっちになったような大きな喪失感を人生で初めて味わいました。
その月に唯一行く予定だったライブはさすがに行くことができませんでした。
一緒に行くはずだった友人がライブ後に電話をくれて、劇場から出てきた寺内さんと話す機会をくれましたね。
「今日のライブ行けなくなっちゃってごめんなさい」と謝る私に「それは仕方ないよ〜。また元気になったらライブ遊びに来てね!またお話しようね!僕は居なくならないから大丈夫だよ!」と言ってくれた寺内さん。
寺内さんからしたら、人としてただ当たり前のことを言っただけかもしれません。
あの時の私に「僕は居なくならないから大丈夫」の言葉は、本当に救いの言葉でした。
思わず泣いて「寺内さんは本当に居なくならないでください…」と伝えたのを覚えています。
あれは、16歳だった私の心の叫びだったし、私から寺内さんへの“一生のお願い”だったと思います。
あの電話をきっかけに「もし、この人のファンがみんな居なくなっても私だけは絶対寺内さんのファンで居続けよう」と決めました。
学業、門限、大学受験…
その歳なりにいろいろなものと戦いながら寺内さんの元に通った高校生活。正直、犠牲にしたものもたくさんあります。
でもそれ以上に得られる幸せがたくさんありました。
毎回緊張してる私に「今日も緊張してるー?」と笑いながら聞いてくれたこと。
冬の出待ちは「寒いのにお待たせしちゃってごめんね〜」と言いながら駆け寄って来てくれたこと。
テスト前に数学の問題を教えてくれたこと。
初めてあげた誕生日プレゼントのTシャツのサイズが小さかったのに、おへそを出しながら頑張って着てくれたこと。
初めて発売された公式写真に「いつもありがとう」とメッセージを書いてくれたこと。
いつもブレてしまう出待ちでのツーショットを「見て!今日綺麗に撮れた!僕、上達してない?!」と嬉しそうに報告してくれたこと。
17歳の誕生日に「何かあげなきゃだねー!」と上野動物園の期限切れ年パスをくれたこと。
センター試験がもうすぐと知って「疲れた時に飲むんだよ!」と差し入れでもらったアリナミンを分けてくれたこと。
どれも寺内さんらしい少しクセのある思い出だけど、挙げ出したらキリがありません。
1番の思い出は大学合格の報告をした時。
目を輝かせて「おめでとー!お疲れ様!」と嬉しそうに言ってくれたの、嬉しかったなぁ。
正直、散々な結果だったし、望んだ大学には合格できなかったけど「でも入っちゃえばこっちのもんだから!」と励ましてくれたのがすごくありがたかったです。
その後のブログに『僕らが1年目の頃から応援してくれている子が今年の春から大学生になるらしい。高校1年生の頃から3年間。ありがたい。』と書いてくれましたね。
翌朝、寝ぼけ眼で読んだそのブログ。あまりの衝撃で目が覚め、ベッドの上で正座をしながら何回も繰り返し読みました。
そして、高校卒業の日。
卒業式の後は友人たちと過ごす予定があったけど、直前に決まったライブの告知を見て、私は寺内さんに会いに行くことを優先しました。
制服で行く最後のライブ。
卒業アルバムの寄せ書きページに書いてもらったメッセージとサインは今でも私の宝物です。
『あなたは私の青春そのもの』
ユーミンの歌詞にこれほど共感したことはありません。
大学生になってからは生活が自由になったこともあり、憧れのお笑い三昧の日々でした。
ちょうどランパンプスも劇場人気が凄い時期で、1日に何本も現場をはしごして、毎日ライブに行く週もあったくらい、本当にハードな時代でしたね。
出待ちにも列が出来始めて、同担拒否の感情が芽生えたのもあの頃だったな…笑
とにかく自分以外の寺内ファンに良い気持ちは抱いていなかったです。
でも、そんな私に周りのファンの方たちはとても優しく声をかけてくれました。
寺内さんを応援する私に憧れると言ってくれる子もいました。
「私は何て小さい人間だったんだろう…」と反省したし、寺内さんのファンと言い張ってる以上は寺内さんの顔に泥は塗れないなと思いました。
あの時に心を切り替えた甲斐あって、本当にたくさんの友達に恵まれました。ほとんどの子がライブには来なくなってしまったけど、未だに連絡は取り合うし、誕生日から結婚・出産までお祝いしたり、一緒にお仕事をした人もいます。
ランパンプスが繋いでくれた縁には本当に感謝です。
昔、よっちゃんに「お前はいっつも1人だな。友達いないんだろ」と言われていたのが嘘のよう。
正直、これくらいの頃から寺内さんの言動に不満を持つことも増えたし、他の寺内ファンから睨まれたり舌打ちされたりと嫌がらせを受けることもあって「ずっとファンで居続けるなんて無理だし、大人になったら通わなくなるだろうな」と思っていました。
楽しいことばかりじゃないよね。
それでも成人の日には振袖のまま寺内さんに会いに行ったし、二十歳を過ぎて自由に拍車がかかって更に活発に動き出した私。
あっという間に大学も卒業して社会人になっていました。
寺内さんも気付けば30歳を越えていて、他の芸人さんの結婚報告を見ては「いつか寺内さんも結婚しちゃうんだろうな」と考えていたけど、どこかで「寺内さんって結婚しなさそう」という気持ちもあって、本人に「今年こそ結婚して幸せになってね!」とは言ってみるものの本気でそんなことは思っていませんでした。
友人たちの結婚ラッシュもあり、最近になって私も結婚というものを意識するようになっていたので(相手こそいないんですけど)、そんな中で寺内さんの結婚報告を目の当たりにして、余計に衝撃が大きかったです。
目の前にあるツイートと写真は現実のものなのかわからないフワフワとした感覚。
大袈裟ではなく、久々に母を亡くした時と似たような感覚を味わいました。
とりあえず私は部屋で1人「あぁ。寺内さん、結婚しちゃったのか」と呟きました。
1時間以上、結婚報告をボーッと眺めて。涙も出なかったです。
数時間経ってからお相手の方が過去に共演したことのある舞台俳優さんだと知りました。
「そういえば、その公演も観に行ってたな…」と過去の写真を見返したら、2人のツーショットチェキを持っていることが判明。
どこまでもオタクな自分に笑えてきました。
やっと目の前に広がる現実を理解した時、何の感情かよくわからない涙が流れていました。
祝福なのか、羨望なのか、喪失感なのか。
よっちゃんは「お金も時間もたくさん費やしてきたのに他の女と結婚されて悲しくないわけないだろ」と私に言ってきたけど、奥さんとの写真に写る寺内さんはすごく幸せそうだった。私がいくらお金と時間をかけても見ることができなかった表情を簡単に引き出せる存在に私は到底敵いません。
奥さんと結婚に至るまでの2〜3年の前では、私の応援してきた12年なんて霞んでしまう。
私にとっては数え切れないほどの大切な思い出たちも、寺内さんの中には何も残っていないんです。
敢えて言うなら、私は自分の無力さを痛感して悲しいかもしれない。
だからよっちゃんが「お疲れ様。今まで応援してくれてありがとう」と私を肯定してくれたのがすごく嬉しかった。ありがとう。
私は寺内さんにガチ恋ではなかった、というか、そんな風に思うなんて烏滸がましいと思ってしまうほど、寺内さんのことを尊い存在だと思っていました。
こんなに長く応援しているのに未だにまともに話せないし、気安く近付けない。本当にただの一ファンとして、大切に丁寧に応援してきました。
私の中の理想の寺内像を壊さないように。
そんな私の大切な寺内さんが結婚なんてめちゃくちゃ幸せなことです。嬉しいです。
あなたの幸せは私の幸せです。
でも私はいろんな人から「ちーちゃんは寺内さんと結婚するでしょ!」と言われることが多く(自分で言うのめちゃくちゃ恥ずかしいな)
「みんな、そんな夢見がちなこと言っちゃって〜」と笑い飛ばしてた反面、現実になったらめちゃくちゃロマンチックな話だなと考えたこともありました。
寺内さんの結婚を知った友人が「ちーちゃんと結婚するんじゃないのか」と本気で残念がっているのを見て、私までちょっと残念になっちゃって。
そして、私には、ささやかな夢がありました。
【寺内さんのファンの中でちょっとだけ特別な存在でありたい】
正直、他の芸人を応援している友達はファン歴が長くなればなるほど推しとの信頼関係が目に見えて出来上がっていて羨ましかったです。
私はどれだけ歴を重ねてもずっと寺内さんが遠かった。
誰に頼まれたわけでもなく、自分で勝手に「ずっと応援する!」と意気込んだだけなのに「私、結構頑張ってるけどなぁ…」と不満を漏らすこともありました。
寺内さんに「無理しないでね」と言われると、心の中で「何でありがとうって言ってくれないんだろう」と自分がかけてほしい言葉を求めました。
ずっと「私は寺内さんのファンだ」と認められることに執着していました。
複数人で寺内さんに話しかけると私は一番最後まで相手にされなかったし、ツアーで隣の席になっても話しかけてくれる素振りもなく空気のように扱われたし、友達とふざけ過ぎてガチで寺内さんに怒られたことも何回かあります。
でも一対一で話す時はいつも楽しそうに話してくれたし、ツアーで自分の写真を撮ってほしい時は無言で私にカメラを渡してくるし、怒られる時は私が代表で怒られていた。
いつでも待つし、いつでも助けるし、いつでも言うことを聞く私を知り尽くした、寺内さんなりの接し方だったのでしょうか。
今となっては良い関係性だなと微笑ましくて笑えてきます。
それに、寺内さんは今でもずっと私の“一生のお願い”を叶え続けてくれています。
ずっと芸人でいてくれて、ランパンプスの寺内ゆうきでいてくれて、ありがとう。
寺内さんが結婚を発表した後、本当にたくさんの人が私に連絡をくれました。
“寺内ゆうき”というワードで私を思い出してくれる人がこんなにいるという現実が1番私の涙腺を刺激しています。
友達だけではなく、相方のよっちゃんまで。
私の願いはちゃんと叶いました。
我がファン人生に悔い無し!多分。
これからは寺内さんと言えば奥さんになるし、奥さん側の関係者は私の存在なんて知らない。
自惚れもいいとこだと自分でも思います。
ただのファンが何を言ってるんだと。
でもこれくらい言ってもいいじゃないか。
私は私の12年を認めてあげたい。
寺内さんのことがずっと大好きで大切にしてきた人が確かに居たんだよ、と。
だから奥さんには寺内さんのことを絶対大切にしてほしい。それが今の私の願いです。